一夜明けたら大分落ち着いた。
 結局、僕がさとりさんに惹かれた理由はマジで母性だったということに気付いてしまった。良く良く考えれば、今まで僕が惹かれた女性は皆僕を守ろうとしてくれる人だった。自分の意地を見抜いてそっと抱き締めた女性とか、「この残酷な世界のすべてから、君の事を守るの」なんて言ってくれた女性とか。うわぁ。知り合いには好みのタイプを「自分を殺してくれる女性」なんて言いふらしていたけど、結局それも人生を軽く投げていた自分にとって、死ぬことが辛さから救われる分かりやすい方法だったからなんだよね。
 そういう意味では、僕はさとりさんが好きなんじゃなくて、自分を甘やかしてくれる女性が好きなのであって、今こうやってさとりさんと一緒にいたいと思うのはたまたま近くにいた手の届く女性だったから、とかそういう理由なのかもしれない。おまけに、さとりさんは心を読むことが出来るから、僕の甘えたいという欲求を敏感に察知してくれるというおまけ付きだ。嫌な言い方だけど、なんとも都合のいい女性ですこと。
 そんな内容のことを、さとりさんに話した。さとりさんは怒りもせずに僕の話を聞いてくれた。その表情からは何も窺い知れない。ひょっとしたら、以前から僕の心を読むうちに気付いていたのかもしれない。そんなことをぼんやり考えつつも、流石にさとりさんに愛想を尽かされるだろうな、なんて考えていた。すっかり穴があいたような気持ちだ。ひょっとしたら僕もさとりさんにとって都合のいい男で、じゃあ、互いにとって都合のいい関係でいましょう、なんて展開もあるのかな? どちらにしろ、これまで通りキャッキャウフフを据え膳させちゃうような、男女逆転少女漫画みたいな関係ではいられないよなぁ。どうですか、さとりさん?
 「そうですね」 しばしの沈黙の後、さとりさんは呆れの溜息と共にほほ笑んで、「歯を食いしばってください」 そう言って、電光石火の平手打ちをおかましになられました。不意を突かれた僕はそのまま体を半回転させて地面に這いつくばる。打たれてから音が聞こえたような気さえする。顔を上げると、艶めかしくそれでいてまるで野菜くずでも見るようなさとりさんの目が飛び込んでくる。「私も随分と小物にみられたものですね?」 さとりさんはしゃがみ込んで僕の下唇を摘み上げた。至近距離にさとりさんの顔。少しばかり生き生きしすぎているような気がするのですが……。「私が都合のいい女? 私じゃなくても構わない? 優しいお母さんになって下さい? 言い分はそれでお終いですか?」 切羽詰まった声じゃない、余裕の中に冷徹さを孕んだ声。「随分とまぁ、頭のよろしいお話でしたこと。ご自分だけ格好の良いことばかり仰って、どこまで理想の人間関係を追いかけになられるのです?」 そこで、少しだけ表情が陰る。「私だってこんな風に好意を向けれたことも、誰かに対して好意をもったことも初めてでして、その、錯覚かもしれないなんて思ったこともあります。けれども、恋だなんて名前をつけなくとも、あなたのことをもっと知りたい、あなたと一緒にいたい、触れ合ってみたい、そう感じたことまで錯覚にする必要はないんです」 さとりさんは冷静な口調で胸の内を語る。僕と同じ様な事を考えていたんだな、なんて思って、単なるナルシズムじゃないかなとかまたつまらないことを考える。と、鼻をつままれた。「違いますよ。誰もが考えることです」 さとりさんは笑う。「皆そうです、自分の気持ちに自身のある人ばかりじゃありません。正しくなくたっていいんです。間違っていたって、それで自分を責める必要なんてどこにもない。もしそうでも、私は迷惑だなんて思いませんよ? むしろ、そうやってうじうじされている方が困ってしまいます。だから……」
 うん。知ってる。どんな屁理屈こねたって、寄り添える人からわざわざ離れる意味なんてないんだって。でも、それでも。
 俯く僕に、さとりさんは声をかける。本当は言われたくなかった、ずっと言いたかったのに。「キス、して頂けませんか?」 ただ請われるのを待っているだけなんて。さとりさんだって簡単に言える言葉じゃないのに。「いいじゃないですか、意気地無しでも。それでも」 ああ、言わないで。「私はあなたがいいんです」
 目を閉じて、さとりさんの唇に触れた。羽のように。どうしたらいいかなんて分からない、鼻と鼻がぶつかって無様なことこの上なし。それでも。「……ファーストキス、ですね」 うん。
 そして、さとりさんは僕の上に覆いかかる。「頭でばかり考えるんじゃなくて、もっと、体と心に、素直になってみませんか?」 ……キスしたい。「ええ」