さとりさんに甘えたい。恥も外聞もかなぐり捨てていい子いい子してもらったりとか、抱きしめてもらってむやみやたらに優しい言葉を掛けてもらったりとか、何かそういう子供染みた甘え方をしたい。
 ……のだけど、恥とか外聞以前のトラウマ的な何かが「彼女は私の母になってくれたかもしれない人だ」的なスタンスを頑なに拒んでしまう。そもそも母親に可愛がってもらった記憶が殆ど無くて、そのフラストレーションを好きな人に押し付けるっていうのが、単に優しい母親が欲しかっただけでさとりさん自身を見てないというか軽視しているというか、そんな感じの何かだと思ってしまう。だから、甘えようとする度に、自分はさとりさんを見ていないんじゃないかって申し訳ない気持ちになって、結局甘えられないのだ。こういうことを考えるときは、さとりさんには席を外してもらっている。こういう思考をさとりさんに見せること自体甘えだしねー。でも、甘えという言葉で無意味に自分をがんじがらめにしているだけという冷静な意見もあって、こういうスパイラルに陥いりだすとホントもう自分ではどうにもできなくなって困る。そんな時、さとりさんは僕の思考を読んで甘えさせてくれるものだからもう、さとりさんに依存しっぱなしですわ。
 よし、さとりさんに依存しっぱなしじゃ悪いから、ここは自らさとりさんに甘えようということで、さとりさんの部屋に突貫。ノックもしないで戸を開けて、膝枕耳掻きしてくださいと懇願。膝枕と言っても星座の膝枕は枕が高すぎてちょっと首が辛いので、足を伸ばして投げだした座り方の太股でお願いします。それで僕はさとりさんのお腹の方に顔を向けて、さとりさんの優しい手の感触を楽しみながらさとりさんのお腹の匂いを胸一杯吸い込ませてください。と、この辺りでさとりさんの呆れたような溜息。
 結局さとりさんも楽しそうに膝枕耳掻きをしてくれるんだけど、所々で「まったく、私はあなたのお母さんじゃないのよ」とか、「変態を装って甘えを正当化しても駄目ですよー」とか、僕にとって致命傷になる言葉をガンガン投げかけてサドっぽい笑みを浮かべていらっしゃいます。何このご褒美。

 ……さとりさん、ごめん。「大丈夫です。いつまでも待てますから」